稚拙な大人と友人になった話 #3
前回の続きです。
何度思い返してみても友人の行動は、園児のそれなのです。
選挙に行かず政治の悪口を言い、
働かずして他人の金で飯を食い、
税金を払わず住み着いている。
親と話し合いを勧めたときも、
どうせ何言っても無駄だからといい、
話し合うこともせずまた課金を始める。
僕はその時言いたかったんです。
「真剣に話す気のないやつが、
真剣に取り合ってもらえると思うなよ」と。
わがままだらけの君を、唯一許してくれるのは親なんです。
どんなに愚息でも、ニュースに出るようなうんこみたいな親じゃないでしょう。
今も懸命に働いていて、君を赤ちゃんの頃から
30年近く、衣食住を無償で提供してくれたんです。
そこに本当にかけらの愛情も感じないのですか?
友人は99パーセントの確率でこう言うでしょう。
「感じないね」
そう返ってきた日には僕はその人との縁を切らざるを得なくなるでしょう。
雨丞がいないと死ぬと本気で言っていたくらいです。
告げた日に死なれては困るので、僕は言いません。
一つ確証があるとすれば、彼女は死なないでしょう。
必死に生にしがみついているのですから。
止めてくれる誰かを失ってもなお、生き続け、
垂れてくる少しの甘い蜜を吸い、生きていくでしょう。
僕はこういいつつもまた友人を杯を交わす。
己の恥を咆哮し、うたいながら練り歩くその人が求め見る光が、
いつか光る刃の先端であらんことを。