雨宿りしよう

どうでもいいを綴っていく

生きる価値とは自分で生み出すものではない

精神安定剤なんて役に立たない雨丞です。

 

精神科に通って1か月。

仕事を辞めてしばらくたちますが、変化がありました。

 

何にも興味と自信を持つことができなくなりました。

働いていても存在を発揮できなかったのに、

働くことを辞めても、それは変わりませんでした。

 

何故だろうと思って振り返ると、

そもそも仕事が主な原因ではなかったんですね。

 

自分自身の価値を決めるのは自分ではありません。

他人の評価によって自分の位置関係やその他へ影響していきます。

 

こんな簡単なこと何故気付かなかったのか。

仕事が嫌だという気持ちもウソではありんせん。

それは一つの要因でしかなかったのです。

 

今もし働くのが嫌で辞めたいなと思っている人は、

働きながらその先の将来を見ることは難しいのではないでしょうか。

考えなければいけないこと(仕事内容等)があると、

どうしても脳の容量はそちらを優先して使いますから、

自分のことに充てる時間はなくなります。

 

僕の記憶力が持続しない理由もそれだと先生は言いました。

しかし、結論から言うと、仕事を辞めても僕の思考力は衰えたままでした。

 

それもそのはず…

僕には問題が山積みなのです。

 

将来もさることながら、今自分の向かいたい方向すら

分かってないのですから。

占い師に見てもらって心を傾けようとしましたが、

それも一時しのぎなのでは…とまた心が決まりません。

占いは診察より高価ですから、収入のない僕にはすっと行けるものでもありません。

 

退職に関しては、やめた方が君のためになるといわれ、

強制的に自己都合にされました。

僕は出来るなら働きたいといったのですが、圧力で抑え込まれました。

 

何もできない僕は自分を責めるようになり、

先生の診断にも半信半疑で話を聞いていくようになり、

自信も信頼を寄せるところも、気力さえもなくなりました。

 

自己愛がない一方で、自分のことしか考えられない自己愛の塊に

なり下がった感覚です。

 

最終的に今この文章を打っている僕は、

生きる価値が見出せずに苦しんでいます。

 

自分を良くも悪くも評価してくれるものが周りからなくなったことで、

その指針すら失ってしまったようです。

 

典型的な日本人の性格と言われればそうかもしれませんが、

僕から言わしてみれば、今の人間は自己顕示欲が強すぎるように思います。

 

個性がすべて、と言わんばかりに。

生活している人もたくさん増えました。

昔に比べて働き方も考え方もずいぶん柔軟になったものです。

 

それについていけてない僕が悪いのでしょう。

自分の魅力を分かっている人は強い、一理あるかもしれませんね。